ヒト

2023.03.24

『ONE  HEALTH』土と人間のいのちを結ぶ旅。私が日本の行き止まりの地に戻り、つないできたもの(根室市)

根室半島を東に走り根室の市街地10㎞ほど手前に温根沼という汽水湖がある。海と湖がつながりその湖岸が森とつながる濃密な自然の中、天然記念物の猛禽オジロワシが住まうこの地で放牧養鶏に取り組む女性がいる。大家恵子さん。古希を越える彼女の枯れることのないバイタリティーとオーガニックな生き方に触れてきました。

 

■根室~東京~根室


―根室に生まれ東京を経由しUターンをした大家さん。その人生は決して簡単に語られるものではないですが改めておはなしいただけますか?

 

1952年、根室の落石地区で生まれた私は家業の新聞店を手伝いながら時折、母の手作りの菜園の収穫を楽しんでいました。日を浴びた土の温かさや豊かな香りが好きで、漁村の磯の香りと混じりあう『ふるさとの匂い』は私の記憶の原風景に刻まれたのだと思います。そんな私でしたが地元の高校を卒業し、その当時の若者の多くがそうだったように東京にあこがれを抱き、根室を後にしたのです。東京では楽しい日々で22歳で主人と出会い結婚し二人の子供を授かりましたが、当時の高度成長ど真ん中で、食生活でも便利さが優先されるインスタントな時代になっていました。田舎育ちの私は化学調味料や顆粒だしを当たり前のように使う生活に『これ本当に大丈夫?』と自然に疑問を抱くようになり、当時まだ珍しいオーガニック食品に一消費者として関心を抱くようになりました。

家族の食卓にこだわりの料理を作って並べる幸せな日々でしたが、突然夫が肝臓がんで他界します。私が34歳の時でした。猛烈型サラリーマンだった夫は朝から翌朝まで働く無理がたたったのだと思います。深い悲しみと茫然自失の中、子供二人を抱え生保の仕事を東京で続けましたが、36歳のとき無性にふるさとに帰りたい気持ちが芽生え、Uターンの道を選ぶことになりました。

根室に帰ってからは家業の手伝いからはじまり、やがて経営者として新聞店をまかされるようになりました。ただただ一心不乱で家族のために働いて、気付くと子供も大きく成長し私も還暦になっていましたが、母親譲りの菜園づくりは仕事の傍ら続けていました。やはり私は根室の自然の土が好きだったのだと思います。

61歳のある時、経営者仲間から廃鶏をいらないか?と言われ数羽預かり育てることに。家族の食卓にこだわってきた私ですから、鶏たちの餌も徹底的に研究しこだわりぬきました。

消費者としてのオーガニック食品の知識とふるさとの豊かな土への畏敬、それに地元の多くの仲間への感謝があいまって餌づくりに確信がもてるようになり、ひよこから育てて鶏の数を増やし64歳の時『ビバリーナチュラル』として卵の販売を開始しました。

 

■生命の循環が生命力を育てる

 

―なるほど!その餌づくりについてさらに詳しく教えていただけますか?

 

うちは圧倒的少数派の放牧で鶏を飼う養鶏場です。工業鶏卵の鶏は首だけ動かせれるわずか30cm四方のゲージで過ごしますが、自然の中で走り回る鶏はその時の体調や状態を反射的に判断して、ある時は薬草をついばみ、ある時は土を掘り返して口にし、出てきたミミズをつつきます。お日様の光は鶏のまき散らかした糞と共同作業で土中の微生物を活性化させ土を温めその上でねる鶏自身のお腹をぬくめることで自身の体調を維持させます。

『土』『草』『ミミズ』などの自然物を放牧でつままさせてミネラル等を補給する一方、年間でおよそ270個の卵を産む鶏たちにはエネルギー源としての穀物が必要になります。うちでは国産の大豆と米ぬかとソバの実、それに地元の漁師さんと卵と物々交換した昆布や魚を混ぜ発酵を促進させたものをあげています。この発酵の方法が一番試行錯誤を繰り返した部分です。ただ穀類を与えるだけでなく、発酵させたものをあげることで鶏は生きた微生物を消化器官に入れることになります。いわゆる『腸活』ですね。生きたもの、生命力の強いものを食べることの重要性は人間も同じです。『生命力』は『生命力』を育みます。

私の好きな言葉に『ONE HEALTH』という言葉があります。一つの地球のもとすべての生命はつながっているということです。繋がっているからこそ、一つの健康は次の健康を生み出し結果、地球も元気でいることができる。自分の体を作る自分の一つ前の生命と自分が作り出した一つ後の生命をイマジネーションすることが大切だと思います。

 



■卵不足の原因は?

 

―東京をはじめ全国的な傾向で卵が不足して価格も大きく高騰しています。渡り鳥による鳥インフルエンザの蔓延による鶏の大量処分が要因とされていますがいかがでしょうか?

 

去年の秋から全国で数千万羽の鶏たちの命が失われています。養鶏家として心が痛みますが、結果として卵が不足しています。丁度蔓延の時期と渡り鳥の時期が重なったこともあり渡り鳥が悪者になっていますが、私は本当にそうだろうかと疑問に思っています。というのは、渡り鳥はじめ野鳥の楽園として国際的に有名な根室で養鶏を営む私のところで伝染が一切ないからです。

私は今回の卵不足は工業鶏卵生産現場による各々の個体の『免疫力低下』に原因があると思っています。鶏たちの自由を奪ったゲージ飼い、抗生物質を投入した給餌では免疫力の低下は必然だったのではないかと。

ところが地元保健所からは、伝染の危険性があるから放牧はやめるように指導を受けました。放牧しているからこそ大丈夫なのに!!と伝えましたが。何か割り切れないです。

 

 


―鶏だけではなく『免疫力低下』は様々な他の現場で聞かれる残念なキーワードになっていますね。例えばイワシの大量死、サケ、サンマ等の漁獲量激減などの要因に魚たちの免疫力低下をあげ、その根本に農業現場での化学肥料散布があるとの漁業関係者からの指摘もあります。

 

詳細はエビデンスを待つしかないのですが、我々の見えないところで食が壊されていくような恐怖を感じます。我々人間も免疫力の低下の矢面にさらされているのだと。

 

―日本は自殺者の数が多い国と言われます。年間3万人が自らの命を自死させています。一方で出生率はさがる一方。経済の停滞状況も大きな一因でしょうが、生命力を作れない日本の食卓に大きな要因があるような気がしてなりません。

 

おっしゃる通りで、大量生産と効率だけを重視した工業生産化された現場は製品を作っているだけで生命力や免疫力を作り出せていません。そういった観点からの食育も必要で、大人たちが子供たちに食の大切さや本来的価値について語り継ぐべきだと思いますね。SDGsでいう持続可能ってそういうことだと思います。

 

■都会には土がない。田舎には土がある。


―都市機能の集中が一部叫ばれる中、地方が切り捨てられる危惧を感じることがあります。そんな時こそ地方の魅力や役割を明確にすべきであると思いますが、大家さんにとって地方の魅力とは何でしょうか?

 

よく地方ではコンビニが近くになくて不便という人がいます。無いなら無いなりの生活をすればいいだけで、逆に便利さによりかかる日本人のメンタリティーや食をコンビニに依存している状況こそが心配です。私にとって地方の最大の魅力は『土』があるということです。都会のアスファルトは生命の宝庫である土を隠してしまいます。

土を介して様々な生命に触れるよろこびを多くの方に感じていただきたいと、消費者の方を招いての菜園づくりを始めました。根室は海産物の宝庫でもありますので消費者の方々と漁師さんからいただいたカニやエビを食べる機会があったのですが、都会の子供たちはそのまんま出されたカニをどう食べていいかわかりません。私がからの剥き方を教えると親たちはただひたすら食べることに集中して寡黙に食べ始めます。子供たちは真剣に食べる大人たちの様子を見て、自分たちも集中して頬張りはじめます。一心不乱です。(笑)

こうした食に集中するという経験って人間にとって大事なことだと改めて思いました。食べながら複雑な体の構造を勉強し生命をいただくことのありがたさも知ることができる。食の『リアル感』て大事だと思います。私の菜園でも土から感じるぬくもりから、目に見えない微生物たちの存在をイメージさせたいと思っています。地方には食のプロがいます。そのプロがそれぞれの『食のリアル』を発信していけば、そのこと自体が地方の魅力になると思います。

  

―最後になりますが、現在71歳の大家さん。たいへんパワフルですが元気の秘訣はなんでしょうか?

 

私は東京でオーガニックな消費や生産にに関わって今年で47年になりました。そこで感じるのはオーガニック食は“気が落ちない”ということです。

私の仕事は様々で、鶏小屋のDIYや畑づくり、鶏たちの餌づくりから新聞屋として仕事もあり結構多忙ですが、食が私の命を支えてくれていると実感しています。

今のこの仕事を支えてくれている漁師さんたちをはじめ多くの根室の仲間たちにも元気を頂いています。本当感謝ですね。

撮影・文 山本 照二

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